考えるのは頭?心?

0
    心はどこにある?
    脳?それとも心臓?
    という問いはよくありますね。

    科学的には、人間の思考も感情さえも、脳の働きによるものだと考えられています。
    もちろん、科学は分からないことの方が多いですから、細胞にも記憶が残るという説も聞いたことがあります。

    さて、今日は、心の場所ではなくて、「考える」ってどういう状態なのかということを考えてみます。

    見出しには頭とか心とか書きましたが、場所のことを考えたいのではないのです。


    考えたことはありませんか?
    「アメリカ人は、心の中でも英語なのかなあ?」と。

    私たちは、考えるということを言葉にしますが、どういう状態なのかはあまり共有していません。

    心の中でも言葉をしゃべっているような感覚がありますよね。
    でも、本当にしゃべっているでしょうか?
    今、先生はブログ記事にしようと思っているので、頭の中でも言葉をしゃべっています。
    他にも、「今週の日曜日の予定を立てよう」などと思うときは、きっと言葉をしゃべっています。
    しゃべるというか、映像になっているかもしれませんね。


    でも、必ずしも言葉にしていないときもあるはずです。
    「あれ、消しゴムどこにやっちゃったかな?」
    と思ったとき、その言葉を心の中でしゃべっているでしょうか?
    あるいは頭の中で文字になっているでしょうか?
    おそらくなっていませんよね。

    さらに、ここからがミソです。
    先の「今週の日曜日の予定を立てよう」と思ったその瞬間、それは言葉をしゃべる前にそう思ったはずです。
    痛いとか、熱いとか、そういう感覚と同じように、
    感情でなくとも「考える」には、言葉の前のところがあるはずなのですね。

    言葉を使える方が、きっと考えやすいのでしょうけれど、
    言葉がなくとも、きっと考えること自体はできるのではないでしょうか。
     
    posted by: tomosen | 哲学 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

    牛乳ブクブク

    0
      やると先生に怒られるかもしれません。唖然

      牛乳ブクブク、やったことありますか?
      これは、瓶牛乳ではなく、紙パックの牛乳でできることです。
      (給食でなければ、別に牛乳でなくてもいいわけです)

      牛乳がたっぷり入っているときのことです。(空になってからではないです)

      普通は、ストローで吸って牛乳を飲みますよね。

      でも、その反対で、ストローでパックにたくさん息を吹き込みます。
      すると紙パックはふくれます。
      その後はどうなるでしょうか。

      本当は、「ぜひやってみてください。」
      と言いたいところなのですが、本当にやるとひどいことになるか、友達か先生に怒られるかもしれないので、どうなるか書いてしまいます。

      息を吹き込むのを止めると、牛乳が勝手にストローをのぼってきます。
      蛇口をひねって水が出てくるかのように、自動的に牛乳がストローから出てくるのです。

      それを知っていれば、牛乳ブクブクをして、こっそり「自動飲み」を楽しむことができるかもしれません。

      でも、これ、知らないでやると大変です。
      口をはずしたとたん、牛乳がストローからあふれてきて、こぼれてしまうのですね。


      この原理は、理科の空気の性質で習います。
      牛乳パックの中の空気が、外気圧よりも高くなるので、牛乳を押し出そうとするのです。

      こんなふざけたところからでも、科学ってできちゃうのですね。

      試すときは、自己責任でイヒヒ
      posted by: tomosen | 科学 | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

      遺伝子操作して理想の赤ちゃんを生んでいい?

      0
        「赤ちゃん設計」許されるか 根強い批判、予測には限界

        情報ノートに、
        「遺伝子を操作して、親が望む特性(障害がない、顔立ちがいい、スポーツに適しているなど)をもった赤ちゃんをつくることに懸念」
        といった内容の記事について、まとめてきた子がいました。

        情報ノートを読んでいると、小学生の学習する内容とか、学力は年齢相応でも、興味関心をもつことには制限がないなあといつも感心します。

        さて、記事には、いくつかのオピニオンがコメントを寄せていました。
        社会学、生命科学、生命倫理学と、分野はそれぞれで、この課題にはあらゆる視点があるのだなと考えさせられます。

        記者の「懸念」は、おそらく生命倫理の視点だと思われました。



        倫理について、簡単に説明すると、
        「人間として実行可能な力について、その可否を善悪で問うもの」
        と言えるでしょうか。
        (そういった定義があるわけではなく、あくまでも私の説明です)

        小学生ならば、道徳の勉強がそれにあたりますね。


        例えば、次の命題
        「人を殺してよいか」
        をどう思いますか?
        人間には人を殺す力があります。でも“普通”そんなことしませんよね?
        どうして?
        法律で決まっているからでしょうか?
        先生はそうは思いません。
        善悪の判断が先にあると思います。
        ただそれだけでは(個人の判断に任せるだけでは)不十分なので、法律でルールとして定めたのだと思います。

        誰もが判断できそうですが、でも本当にそうかというと、分からないのが人間社会です。
        だって、戦争もあるし、死刑制度もあるでしょう?



        生命倫理のこの件についても、おそらく人それぞれの判断では不十分で、いずれルールができるでしょう。
        そうでないと、人間社会が保てなくなるからです。

        (ここからは社会学)
        金持ちの人ばかり、優秀な子を産めるようになったら、金持ちの人しか生きていけない世の中になってしまいますし、
        そうなる過程では、きっとたくさんの戦いが起こることでしょう。

        (ここからは生命科学から生物学へ)
        人間の歴史は長いです。その時代ごとに自然に合わせて生きてきました。
        ところが生命操作ができるようになると、この時代で必要な力を備えるように操作するでしょう。
        すると生物としての人間は個性がなくなっていき、何か大きな自然の変化があった時に絶滅してしまうおそれも出てきます。
        (これさえも、科学の力で太刀打ちするかもしれませんが)



        先生は哲学が専門なので、生命倫理の視点が強いと思います。

        生命倫理は、この15年間でもどんどん変わってきています。
        ドリーというクローン羊が誕生し、クローン人間は作ってよいかとか、
        何らかの体の事情で赤ちゃんを産めない(産むことがむずかしい)女性の体から卵子を取り出して、他の女性の体で代わりに産んでもらう代理母出産とか。
        近年でいえば、山中教授がノーベル賞を受賞したことで注目されたiPS細胞。
        この技術を使って、動物の体内でヒトの臓器をつくり、それを取り出してヒトへ移植するという話。
        これはすでに「半分、容認」されています。

        ヒトを幸せにする医療や科学も、自然や生物全体から見た時に、
        「本当にいいのだろうか」
        という気持ちを、今の多くの人達はもっています。

        でも、このように生命倫理は、科学技術の発展の速度に合わせてどんどん変化をしていくのです。

        先生にも15年先がどうなっているかは見当つきませんし、少しこわいです。


        みなさんはどう考えますか?
        posted by: tomosen | 倫理 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

        食パンの「食」は何?

        0
           みなさんは、食パンを知っていますよね。
          では、食パンはどうして「食パン」というか知っていますか?
          家庭によっては毎日のように食べているのに、知らない人はたくさんいるのではないでしょうか。

          というか、そもそも「なんで」と考えたこと自体ないのではないでしょうか。

          では、どうして考えたことがないのでしょう?

          どうでもいいことだから
          ではないですか?

          だって、食パンの「食」が何をさすか知らなくたって、食パンを食べることはできますから。

          健康志向の人は、食パンの原料が何かとか、どこ産の小麦を使っているかとか、添加物がないかどうかなどは気になるかもしれません。
          それは、自分の体に何かしら関係や影響があると思っているからです。
          でも、食パンの「食」が何をさすか知らなくても、パンが腐ったり、不味くなったりはしません。
          だから、どうでもいいことなのです。
          どうでもいいことだから、あまり考えたことないのです。


          先生は、今朝、食パンを食べているときに初めて考えました。
          34年間も生きてきて、朝食はほとんど食パンを食べてきたのに、その答えが思い浮かばなかったことに驚きました。


          今の世の中、しかもこの記事を読んでいる環境ならば、この答えは容易に見つけることができます。
          「食パン」などとインターネットで検索すれば出てきますから。
          先生はWikipediaで調べました。
          明確な答えはありませんでしたが、こう考えられるというものを見つけることができました。

          みなさんなら、どうしますか?
          「この記事に答えも書いておいてくれたら親切なのに」
          と思うかもしれません。
          あるいは、「別にどうでもいい」と思うかもしれません。
          自分で調べてみるかもしれません。


          この記事は、食パンのことはあくまでも“話題”なので、
          この話題を通して先生が伝えたいことをそろそろ書くことにします。

          今、学校では、「問い」に対して何をどうやって解決していくかを勉強しているかもしれません。
          確かに、調べる方法がいくつもあれば、解決することが簡単になってきます。
          でも、どうでしょう。解決したことで、みなさんの人生は何が豊かになるのでしょう。

          実は、学習で大事にしたいのは「どうやって解決するかの方法を知る」ことではなく、
          「解決したい」と思えるような問いを自らもつことと言えないでしょうか。


          食パンがどうして「食パン」というのか
          みなさんは、この問いを解決したいですか?

          解決したいと思った人は、
          1 自分でまず考えてみた
          2 自分で出した答えが十分に納得いくものではない
          3 納得したい
          と考えたことでしょう。


          1で終わる人もいます。
          その人は、「真実」を気にしない人です。
          自分の予想で「多分そう」と思える人です。
          友達との間で話題にはなるかもしれません。


          2と3の間がみそです。
          自分が「考える」ということを大事にしている場合、「納得」することには価値があります。
          でも、そうでなければ、この問いならば3にはいかないでしょう。
          だって、納得しなくたって、これまで通り何一つ変わらず、食パンは食べていけるし、生きていけますから。


          誤解しないでくださいね。先生は、
          食パンはどうして「食パン」というか
          について考えて欲しいのではありません。

          教室で先生が与えた「問題」を答えることは、「問題解決学習」ではないということです。
          誰かに「なんで?」と聞かれずとも、自ら「なんでだろう?」という思いをもつことが大事なのです。

          そのためにできることは
          自分が”当たり前“にしていることに気付くことだと、先生は考えます。

          当たり前のことは、当たり前なのですから、なかなか気付きません。
          でも、「これは、こういうことを当たり前としよう」と決めた日はきっとありません。

          周りの人とか、なんとなくの空気として押し付けられている「当たり前」を、知らず知らずに受け入れているのですね。
          生きていく上で全てのことに「なんで」と問い、納得しないとすまないのであれば、とてもとても生きていけません。
          でも、ふと自分も「当たり前」としてしまっていたことに「なんで?」と思えたならば、きっとそれはチャンスです。
          なぜなら、
          それを解決したときに「世の中のことには必ず意味があるのだな」と、世の中を肯定できますから。
          また、
          解決しないときは「当たり前を当たり前でなく」して、「新しい当たり前」を作りたいという思いがわきますから。


          今、みなさんのすぐ傍にも、気付いていない「当たり前」がたくさん転がっていますよ。
          posted by: tomosen | 勉強 | 14:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

          下検分ってなあに?

          0
             日光修学旅行の下検分(したけんぶん)に行ってきました。

            え?先生だけ日光行けるの?ずるいっ!
            みたいなことを考える子はほとんどいないと思いますが、
            でも、どういうことをするのだろうとは思いますよね。

            仕事で旅行に行くのではなく、
            みなさんが安全に楽しく旅行できるように、
            安全でなくなる可能性のあるものや、
            楽しくなくなる可能性のあるものなどをチェックして、
            当日そういうことにならないように対策をするためのものです。


            たとえば

            1.
            先頭を歩いている先生。後ろには40人の子ども達。
            ところが先生、「あれ?前に来たときは、この道通れたんだけどな・・・」と工事中になった道を見て困ったとします。
            先生が困れば、子どもも困ります。
            近所の道であれば、「じゃあ、あっちから通ろう」とすぐに判断できますが、普段行かない場所では、そうも行きません。
            ここで困っている間に時間が過ぎてしまい、バスの時間に間に合わなくなったら台無し。


            2.
            ここでは、何時何分に集合しよう。次はどこそこに行くから、集合は3分。トイレもここですませないと。
            という計画。地図やパンフレットを見れば、そこまで行かなくてもトイレの場所くらい確認できます。
            でも、そのトイレは小さくて、女子トイレの個室は2つしかなかったとしたら、、、
            3分で全員がトイレに行けるわけありませんよね。
            これで、その後の計画がずれてしまいます。1と同じ。

            3.
            学校から、先生が引率できる人数には限界があります。
            グループ行動をするとしたら、みなさんが迷子になったり、危険な目にあわないように、
            チェックポイントを作って見守ります。
            でも、先生たちの数しかチェックポイントは作れませんから、どこをチェックポイントにするかを決めなくてはなりません。
            実際の場所を見て、
            ・先生が立っていなくても、判断つけられる分かりやすい目印がある
            ・お客さんがたくさん集まったり流れたりするところだから、集合場所には向かない
            といったことが分かります。そうすれば、チェックポイントの場所を正しく決めていくことができます。
            また、目印を写真にとっておけば、行く前にみなさんに伝えることもできます。

            4.
            転びそうな場所など、危ない場所もいくつかあります。
            当日、たくさんの人がいる中で、先生が大きな声で「危ないから気をつけて!」と言うのはあまり好ましくありません。何より、いつ先生が大きな声で大事なことを伝えるか分からないのでは、観光に集中できませんし。また、広く行動していますから聞きそびれることもあります。
            事前に伝えることができれば、みなさんも見通しをもって、安全に行動できますよね。
            自分たちで気をつけることができるようになります。


            他にも、宿泊する宿の人と、細かい打ち合わせも必要です。
            お風呂の時間をいつなら大丈夫かとか、一度に何人入れるか、シャワー口はいくつあるかとか、食事で食べられないものはどうしたらよいかとか、
            具合が悪くなったときはどこに連絡するかとか、おみやげコーナーは何人くらいまで入れるか、
            荷物はどこに預けたらよいかなどなどなどなど。

            公共の場をたくさん利用しますから、一般の方に失礼のないようにすることもすごく大事。
            一人ひとりがきちんとしていても、40人など集団がいるだけで、通行人にとっては迷惑になりますよね。

            みなさんが安全に楽しく旅行できるように。
            そして、みなさんと周囲の全ての人が気持ちよくすごせるようにするために、
            引率する先生がしっかりと調べて、分かっておくことがとても大事なのです。


            ちなみに、先生は2日間でへとへとになりました。
            一ヶ月で体力をつけなくちゃ。
            posted by: tomosen | 勉強 | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

            今年もよろしくお願いします。

            0
               2012年、今年もよろしくお願いします。

              みなさんは、今年をどんな一年にしたいですか?
              子どものころってあまりそういうことを考えたりしませんよね。

              「1年後の自分」よりも、「今の自分」「明日の自分」に目がいくからです。
              それも大事なことですね。

              でも、せっかくの年始ですから、一年の抱負(ほうふ)をもってみてはいかがでしょう。
              目標をもつということは、自分に大きなエネルギーをくれるものですよ。

              そして、学校のこととか、勉強のことにかぎらなくたっていいんです。
              目標にすることは、日々取り組んで、積み重ねていくと近づいていけるものだとなおよいです。
              ただし、それを徹底すること。
              小さな積み重ねは、必ず成果が見えてきます。
              そうすると嬉しくなるのはもちろんですし、自分に自信がついてきます。

              「目標にむかって努力すると、実現できる」

              という、みなさんに元々そなわっている力を実感することができるからです。

              ちっちゃなことでいいですから、ぜひ目標を立ててみてください。
              先生もそれを精一杯応援したいです。


              さて、先生の2012年の目標は・・・

              1.人の役に立てる人間に、一歩一歩近づく。
              2.仕事とプライベートのスイッチをしっかりもつ。
              3.かえってきたこまっちょ。

              です。

              3つもあって、よくばりですね^^;

              1つ目をかんたんにいえば、感謝される言動を心がけるということ。
              小さな親切はもちろんですが、人が困っていることに気づけて、それによりそえるようになりたい。そのためには、自分にゆとりがないとだめですね。
              自分のことで精一杯だと、人のことを気にしているよゆうがありません。
              みなさんもイライラするときってあるでしょう?
              そういう時は、だいたい自分によゆうがないときです。
              自分のことばっかり考えていると、思い通りにならないことのほうが多いもんだから、イライラしてしまうのです。

              さて、自分によゆう、すなわち「ゆとり」をもてるようにするには
              2つめの目標になるのです。
              仕事を一生懸命することは大事です。
              でも仕事ばっかりしていると、頭もかちこちになってしまいますし、
              疲れがたまってくると見えている世界がどんどんせまくなってしまいます。

              休みときは休む!遊ぶときは遊ぶ!
              というのは大人でも大切なんです。

              そして3つ目。
              去年も「運動をする!」と言っていましたが、自分で満足できるような運動はできませんでした。
              今年は、ストレッチして体をやわらかくする&筋トレをして筋肉をつけるようがんばります。

              先生は特別にスポーツをしていませんから、何かスポーツのパフォーマンスを向上させるために筋トレやストレスをするというわけではありません。
              一言にいうと、ケガの予防です。

              筋肉がおとろえていると、骨に負担がかかります。
              また、バリバリにスポーツやっていた時と同じ感覚で運動すると、体にものすごく負担がかかります。


              いずれにしても、そんな目標を立てました。

              今年もよろしく御願いします

              年賀状2012
              posted by: tomosen | あいさつ | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

              人生最大のハプニングは何ですか?

              0
                人の質問には、よく「一番」とか「最高」「最悪」など、極値(きょくち)を聞くものが出てきますね。
                極値とは、何かをはかるときのはじっこの部分です。南極は南のはじっこだし、北極は北のはじっこ。100点満点のテストの極値は0点と100点です。

                さて、
                こういう質問をする人は、どんなことを考えて、あるいはどんなことが目的で質問するのでしょう?

                <エンターテイメントを求める>
                極値というのは、いわゆる「通常ではない」ものですから、
                それは自分の感じている日常や普通からギャップがあります。
                ですから、驚きやおもしろさがあるのですね。
                したがって、
                「自分が驚きやおもしろさを感じたいから、話してほしい。」
                ということになります。

                この場合は、「みんなで何かの感情や思いを共有するための話のお題」すなわち「話題」です。
                ということは、「とも先生の〜」でなくてもよいかもしれません。
                びっくり経験をしている人が、その談話に参加している誰でもよいのです。
                ただ、これでは人の人生経験を「消費」するだけです。
                テレビのような感覚です。


                <極値から人の人生の幅をはかる>
                人生には幅(はば)があります。
                人生には長さがあり、広さがあります。

                一番簡単な例は寿命(じゅみょう)ですね。100歳まで生きる人はいますが、200歳まで生きる人はいません。「何歳?」と聞くと、これまでその人が生きてきた長さが分かるのですね。
                でも、幅というのは、それだけではありません。
                100歳を100メートルに例えてみましょうか。
                • まっすぐ平らな100メートル
                • 途中でカーブがある100メートル
                • ずっと上り坂の100メートル
                • 途中に水たまりのある100メートル
                どうですか?自分が走るとしたら、どれも同じには聞こえませんよね。
                人生には、平らなところもあれば、曲がり道もあるし、上り坂もあれば、水たまりもあります。
                他にも竹やぶがあるかもしれないし、トンネルがあるかもしれないし、階段があるかもしれません。
                絵にしたらおもしろそうですね。
                人生にいろんなことがあることを波瀾万丈(はらんばんじょう)と言います。

                つまり極値を聞くということは、この幅を聞くことになるのだと考えられます。
                人の経験を聞くことで、その人がこれまでの人生で、どんな道を歩んできたかを知ることができます。
                極値を聞く場合は、それだけではなく、その道の傾きや密度(ちょっとむずかしいですね)まで知ることができます。
                ちょっと難しいので、もう一度例えてみましょう。
                「これまでに登った山で一番高い山は?」
                という質問をしたとして、
                「富士山」
                という答えが返ってきたとします。
                そうすると、質問をした人は富士山から連想できることでその人のことをはかることをします。
                • 「自分が登った1500メートルの山よりもはるかに高い山に登ったことがあるんだ。」
                • 「でもモンブランに登ったイモトには、かなわないなあ。(富士山は3776m、モンブランは4810m)」
                • 「じゃあ、それよりも低い山ならどれもいけるのかな」
                • 「エベレスト(8848m)を登ってみたいかな」
                といったように、いろいろ思ったり考えたりすることができます。
                最初の2つは、自分とか他の人とその人とを比べています。
                後の2つは、その人のゆとりとか、もっと極値を高めようとしているのかなどをうかがっています。


                人の人生にふれるのは、とてもおもしろいです。
                自分にはないものをもっていたり、その人の思っていることや考えていることに近づける気持ちになれるから。

                人の経験談は「消費」するのではなく、自分の「糧(かて)」としてほしいと思います。




                これで終わると、「何も答えてないじゃん」とつっこまれてしまいますね。
                でも、この質問、やっぱりむずかしいです。
                もう少しジャンルをしぼってほしいです。
                「今までいったところで一番の所は?」
                と聞かれるよりも
                「今まで通ったことのあるトンネルの中で一番長いトンネルは?」
                のように。
                「先生の小学校生活の中で一番のハプニングだったのは?」
                くらいだと答えやすいです。
                また、極値を聞くのではなく、
                「小学校生活のハプニングには、どんなものがあった?」
                という質問でも、十分です。
                極値ではなくても、みなさんの小学校生活でのハプニングよりもはるかにすごいレベルのものをたくさんもってますから(笑)言えないのもたくさんあるけれど・・・
                posted by: tomosen | 人生 | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                苦手な食べ物で、嫌な経験は?

                0
                   食べ物の好き嫌いが多い私です。

                  苦手な食べ物で、嫌な経験、あります。
                  でも、簡単に言えば、それはみなさん同じ経験になるでしょうね。

                  すなわち、
                  「嫌いな食べ物を食べなくてはいけなかった時」
                  ですよね。

                  前後のことは全く覚えていませんが、

                  3歳ころのことで、
                  食卓に一人残っている先生。
                  前のお皿には、レバーが。

                  母親が、
                  「いいかげん、食べなさい」
                  と。

                  たったこれだけのことなんですが、30年経った今でも、この時のことは
                  つらい思い出として覚えているのです。

                  豆嫌いですっかりおなじみの先生ですが、
                  実は、一番食べられないのは、レバーなのです。


                  先生が子どものころは、給食でカレーにグリーンピースが入っていることがありました。
                  飲み込んでいました。

                  でも、食べ物を飲み込んで、いったい誰が得をするのでしょうか?
                  先生は、グリンピースを飲み込むことで、グリンピースを食べられるようになるでしょうか?
                  あるいは、かまずに飲み込んでも、栄養になってくれるでしょうか?
                  先生は、嫌いな食べ物を食べられるようになったと達成感を得られるでしょうか?
                  料理を作った人は、味わわれることなく飲み込まれて、嬉しい気持ちがするでしょうか?


                  一つ、かんちがいをしないでくださいね。
                  「だから嫌いな食べ物は食べなくていいんだ」
                  と言っているわけではありません。
                  「嫌いな食べ物を飲み込むことに、何の得もない」
                  ということだけを言っているのです。

                  では、どうしたらいいか。
                  さて、先生はどうしているでしょう?
                  posted by: tomosen | 私個人 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                  小学生の時、何か植物を育てましたか?

                  0
                     小学生のとき、マンションの1階に住んでいました。
                    庭があったので、そこでいろいろと育てていました。
                    せっかくですから、夏休みの思い出を話しますね。

                    印象に残っているのは、ミニトマトです。

                    みなさんも育てたことがあるのではないですか?

                    すんごいんですよ、生命力が。

                    すんごいんですよ、実のなり方が。

                    夏休みのはじめ、先生はミニトマトが好きでした。
                    できるのを見るのも楽しいし、食べておいしい。
                    まさにミニトマトパラダイスです。

                    ところが、夏休み中、だんだん変化が。
                    その理由は、とにかく毎日たくさん実がなること。

                    そう、1日3食、全てにミニトマトが。
                    それが毎日です。

                    一生分、食べきってしまった気持ちになったので、
                    今でもミニトマトを見ると食傷気味(しょくしょうぎみ)になります。


                    みなさんの体験も教えてくださいね。
                    posted by: tomosen | 私個人 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                    苦手な教科の克服法は?

                    0
                      苦手な教科は、どうしたら克服(こくふく)できますか?
                      ということですね。

                      答えは

                      「やめときなさい。先生なら、そんなことしません。」

                      です。


                      残念ですか?・・・たぶん、がっかりですよね。
                      理由はかんたんです。
                      そんなの、ハッピーじゃないからです。
                      はあ?そんなんでいいわけない・・・とか思ってますよね。

                      まあ、落胆(らくたん)したり、おこったりせずに、もう一度質問を読み返してみましょう。

                      「苦手な 教科は どうしたら 克服できるか?」ですね。

                      この質問文の場合、一番短くすると「教科は 克服できるか?」です。

                      克服とは、なんですか?
                      大辞泉で調べると「努力して困難にうちかつこと。」とあります。

                      どうしたら打ち勝ったことになるのでしょう?
                      テストで100点とったらでしょうか?

                      文をわかりやすくおきかえると、
                      「苦手な教科で100点をとれるようになりたい。」
                      ということになります。

                      これって、ハッピーですか?

                      嫌いな食べ物を前にして、
                      鼻をつまんで、かまずに飲み込む。

                      そんな方法を教えてほしいということになりますが・・・。

                      嫌いな食べ物を、鼻をつまんで飲み込んで、何かうれしい気持ちになりますか?
                      さらにいえば、これって本当に「克服」したと言えるでしょうか?

                      だって、鼻つまんで飲み込んで、「これならいつでも食べていいよ!」って思わないでしょう?


                      多分、苦手な教科で100点とるには、とてつもない勉強をしなくてはいけないでしょうし、100点とれても、つかれてぐったり。次のテストでまた同じことを・・・と思うでしょう。

                      ではこれではいかがでしょう?
                      「苦手意識を克服する」

                      苦手な教科で100点とるより、
                      苦手じゃない教科で100点とる方がかんたんですし、うれしいです。


                      なので、先生なら
                      「まず、苦手意識を克服する」
                      「次に、苦手じゃない教科の勉強をがんばる」
                      ようにします。


                      話が長くなってしまいましたが、質問そのものが的を得ていないと、期待する答えがかえってこないことはよくあります。

                      苦手意識の克服方法はいろいろとありますから、
                      他の記事にすることにします。
                      posted by: tomosen | 勉強 | 16:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |