「赤ちゃん設計」許されるか 根強い批判、予測には限界
情報ノートに、
「遺伝子を操作して、親が望む特性(障害がない、顔立ちがいい、スポーツに適しているなど)をもった赤ちゃんをつくることに懸念」
といった内容の記事について、まとめてきた子がいました。
情報ノートを読んでいると、小学生の学習する内容とか、学力は年齢相応でも、興味関心をもつことには制限がないなあといつも感心します。
さて、記事には、いくつかのオピニオンがコメントを寄せていました。
社会学、生命科学、生命倫理学と、分野はそれぞれで、この課題にはあらゆる視点があるのだなと考えさせられます。
記者の「懸念」は、おそらく生命倫理の視点だと思われました。
倫理について、簡単に説明すると、
「人間として実行可能な力について、その可否を善悪で問うもの」
と言えるでしょうか。
(そういった定義があるわけではなく、あくまでも私の説明です)
小学生ならば、道徳の勉強がそれにあたりますね。
例えば、次の命題
「人を殺してよいか」
をどう思いますか?
人間には人を殺す力があります。でも“普通”そんなことしませんよね?
どうして?
法律で決まっているからでしょうか?
先生はそうは思いません。
善悪の判断が先にあると思います。
ただそれだけでは(個人の判断に任せるだけでは)不十分なので、法律でルールとして定めたのだと思います。
誰もが判断できそうですが、でも本当にそうかというと、分からないのが人間社会です。
だって、戦争もあるし、死刑制度もあるでしょう?
生命倫理のこの件についても、おそらく人それぞれの判断では不十分で、いずれルールができるでしょう。
そうでないと、人間社会が保てなくなるからです。
(ここからは社会学)
金持ちの人ばかり、優秀な子を産めるようになったら、金持ちの人しか生きていけない世の中になってしまいますし、
そうなる過程では、きっとたくさんの戦いが起こることでしょう。
(ここからは生命科学から生物学へ)
人間の歴史は長いです。その時代ごとに自然に合わせて生きてきました。
ところが生命操作ができるようになると、この時代で必要な力を備えるように操作するでしょう。
すると生物としての人間は個性がなくなっていき、何か大きな自然の変化があった時に絶滅してしまうおそれも出てきます。
(これさえも、科学の力で太刀打ちするかもしれませんが)
先生は哲学が専門なので、生命倫理の視点が強いと思います。
生命倫理は、この15年間でもどんどん変わってきています。
ドリーというクローン羊が誕生し、クローン人間は作ってよいかとか、
何らかの体の事情で赤ちゃんを産めない(産むことがむずかしい)女性の体から卵子を取り出して、他の女性の体で代わりに産んでもらう代理母出産とか。
近年でいえば、山中教授がノーベル賞を受賞したことで注目されたiPS細胞。
この技術を使って、動物の体内でヒトの臓器をつくり、それを取り出してヒトへ移植するという話。
これはすでに「半分、容認」されています。
ヒトを幸せにする医療や科学も、自然や生物全体から見た時に、
「本当にいいのだろうか」
という気持ちを、今の多くの人達はもっています。
でも、このように生命倫理は、科学技術の発展の速度に合わせてどんどん変化をしていくのです。
先生にも15年先がどうなっているかは見当つきませんし、少しこわいです。
みなさんはどう考えますか?